ロマン派歌曲の「森」

一番初めにシューベルトの歌曲に魅せられた高校時代に、もっとも人気があったのはD. フィッシャー・ディースカウでした。最初にまとまった歌曲集を聴いたのは、定番の「冬の旅」「美しき水車小屋の娘」でした。その時には気にも留めずに、ただただ美しい旋律に魅了されました。その気持ちが昂じて、合唱団を退団して、声楽のレッスンを受けるようになり、歌詞もじっくりと考えるようになりました。ある時から、ずっと疑問に思っていたのは、ベートーヴェンに始まるロマン派の歌曲が(詩人が)扱う内容です。向こう横丁の後家さんとか八百屋のオヤジとか町のタバコ屋の看板娘といった、町の中の事象を扱う歌詞が出てこないことです。「冬の旅」に出てくる町には、寝静まった住民の棲む家々、寒気が襲う街を彷徨う辻音楽師しか居ません。あとは雪の中でひとりぼっちになって森のなかを流離うのです。
例えばシューベルトの歌曲で、多く出てくる職業は、羊飼いでしょうか。羊飼い、水車小屋の番人、狩人という職業は、町の中で仕事をする職能別組合(ギルド)に加入している指物師、肉屋などとは違い、ギルドを構成できない職業の人々でした。そう考えるとオペラの扱う主題では、人々が寄り添って生きている町の中の人間関係が多いのと対照的です。
広島独文学会のホームページに「不名誉な職業ー水車粉屋と亜麻布織工」(福嶋正純氏の著作)という随筆が掲載されていて、この点について、羊飼い、水車小屋の番人、狩人という職業人は、都市防衛の際に応召義務が無いとして、一段低く見られていたので、通常のギルドの構成員との結婚も認められないという差別を受けていた人々であったとしています。これで納得したのは、水車小屋に対するロマン派音樂出現までのイメージが、極めて悪かったので、魔物が棲みついたりするように思える寂れた雰囲気、粉じん爆発が起きやすい(これは考えたことが無かったけれど、小麦粉の粉の微細粉末が小屋の中に充満して、ランプの灯りでドカン!というのは十分にありますね。当時の人々は超自然的な現象と捉えたでしょう)ということもあって、「敬遠」する傾向が有ったのは否めません(是非上の下線部をクリックしてお読み下さい)。
つまりロマン派詩人や作曲者は、それまでの城壁都市の「内側」で起きている事柄を描く芸術から、城壁の外に飛び出すと最初に出会うはずの森(暗闇や静寂)と自然を描きます。「美しき水車小屋の娘」という曲集があるのに「美しきパン屋の娘」という曲さえ無いのかというと、それは水車小屋が城壁都市の「外側」にあって、森と町の境界にあるからなのです。それまではヨーロッパの森は魔界と同じように考えられていて、魔王、魔女、魔獣、彷徨う霊魂、そして逃亡犯までもがうろつく場所でした。ロマン主義は、人々の視線を、城壁都市の外に向けた文芸運動とも呼べるでしょう。いわゆる「自然」の入り口は、ヘンゼルとグレーテルのようにおそるおそる入っていく森でした。ロマン派の森は不可思議の森だったのです。こう考えて見ると、シューベルトの「魔王」というのは、ただのオトギバナシでは無くなりますね。




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